【モンテクリスト拍の意味】モンテクリスト拍とは?投獄された孤島の話?

フジテレビ系木曜劇場「モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―」が、 4月19日からディーンフジオカ主演で放送されています。

ドラマ「モンテクリスト伯」はフランスのアレクサンドラ・デュマが原作の「巌窟王」の名称で知られている物語「モンテクリスト伯」をベースに、現代の日本に舞台を移したドラマだと言われています。

最初に、原作のモンテクリスト伯は、小説?実話?か紹介します。

 

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【モンテクリスト伯】フランスの小説?実話?

フランスのアレクサンドラデュマの小説は、当時の大手新聞「デパ」紙に1844年から1846年の2年間にわたって連載された新聞連載小説です。

時代は、1815年のナポレオンが、フランスで活躍していた時代です。

物語は、ナポレオンが失脚してエルバ島へ追放されていたときに、主人公のエドモン・ダンテスが、エルバ島に寄り、ナポレオンに面会し、パリへ持って帰る手紙を託されます。

航海から帰ったエドモン・ダンテスが、船主から船長への昇格を約束されます。

それを聞いた会計士のダングラールと恋敵のフェルナンが、「ダンテスがナポレオンから秘密文書を預かった」と、ナポレオンのスパイだという嘘の密告をします。

主人公のエドモン・ダンテスは、手紙の内容を知らず、ノワルティエへ渡すだけだと思っていました。しかし、ノワルティエの子供の検事代理のジェラールが、手紙を見て、自分の保身のために、無実の主人公ダンテスを投獄します。

ダンテスは、婚約者のメルセデスとの婚約披露のパーティー中に逮捕されます。

この物語は、作者が作った小説です。

原作とテレビドラマの比較をします。

題名 モンテクリスト伯 モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―
投獄された年 1815年 2003年
投獄された所 シャトー・ディフ ラデル共和国
脱獄した年 1829年 2017年
主人公

エドモン・ダンテス

モンテクリスト伯爵

紫門暖(ディーン・フジオカ)

モンテ・クリスト・真海

財宝をもらった人 ファリア神父

ラデル共和国元大統領

ファリア真貝(田中泯)

婚約者 メルセデス 目黒すみれ(山本美月)
恋敵 フェルナン・モンデゴ 南条幸男(大倉忠義)
密告させた人 会計士・ダングラール

船員・神楽清(新井浩文)

手紙の届先 ノワルティエ 投資家・入間貞吉(伊武雅刀)
投獄した検事

検事代理・ジェラール

(ノワルティエの子供)

刑事・入間公平(高橋克典)

(入間貞吉の子供)

原作の内容にかなり近い設定にしていることが分かります。

 

この小説「モンテクリスト伯」は、実話をもとに作りあげれた小説です。

実話というのは、「1807年頃に、フランソワという男がマルグリットという娘と婚約していたのですが、腹黒い友人に密告され、イギリスのスパイとして逮捕された」という内容です。

作者のデュマは、新聞で読んで、以上の内容をふくらませて、「モンテクリスト伯」を復讐物語にしたので、かなり想像力のたくましい人であったことが分かります。

 

次に、小説「モンテクリスト伯」を書いた作家について紹介します。

 

【モンテクリスト伯】原作を書いたのは誰?

「モンテクリスト伯」の原作を書いたのは、フランスの作家・アレクサンドル・デュマ(1802年7月24日~1870年12月5日)です。

アレクサンドル・デュマは、北フランスエーヌ県に生まれました。父親は、黒人奴隷の子孫で、将軍と呼ばれ、フランス軍の将軍でしたが、差別を受けました。

しかし、父親はデュマが幼少時に死亡し、父親の死後、年金がなかったので、まともな学校教育が受けられず、15歳で公証人役場の見習いとして働いたようです。

デュマは、17歳の時に、劇作家を目指して、パリへ行き、文学や歴史の勉強をしました。

デュマは、「モンテクリスト伯」がベストセラーになり、莫大な資産を得て、その金を使って、豪邸「モンテクリスト城」を建てて、派手な生活をしたそうです。

しかし、晩年までに、ほとんどの資産を使い果たして、死んだときには財産がなかったようです。

次に、「モンテクリスト伯」が、無実の青年が投獄された話であることを紹介します。

 

【モンテクリスト伯】無実の青年が投獄された話?

1815年、主人公の船乗りの青年エドモン・ダンテスが、島流しされていたナポレオンと会見し、手紙を預かったことから、スパイの疑いをかけられ、無実の青年が投獄されます。

投獄されてから、隣の独房のファリア神父と出会い、無実の罪で投獄されたことを理解し、陥れた3人への復讐を決意します。

神父は、モンテクリスト島に隠した財宝のありかを、ダンテスに話して、息を引き取ります。

 

次いで、14年の投獄された罪について紹介します。

 

【モンテクリスト伯】14年の投獄って何の罪で投獄されたの?

1815年、島流しされたナポレオンが、フランスへ再上陸するための準備をするように、支持者へ援助を依頼していました。

そのための謀反の計画の手紙を預かったことが、政府の転覆に加担している見られて投獄の罪になりました。

ナポレオンのプロフィール
  • ナポレオン・ポナパルトは、1769年から1821年まで、フランスで活躍した軍人・政治家です。
  • ナポレオンは、ブリエンヌ陸軍幼年学校から1784年にパリの陸軍士官学校へ入学し、砲兵科で学びました。
  • 1789年にフランス革命が勃発し、軍人として出世したナポレオンは、1796年には、イタリア方面軍の司令官に抜擢されました。
  • 1804年に、ナポレオンは、皇帝ナポレオンになりました。
  • 1814年にイギリス軍に負けて、ナポレオンはエルバ島へ追放されました。
  • 1815年に、ナポレオンは、エルバ島を脱出し、パリで再び復帰しました。

物語の始まる1815年は、そのように、ナポレオンが復帰するために、その時の政権に謀反を起こした時代で、無実の罪で投獄された人も多かったと思います。

 

それでは、主人公の投獄された孤島を紹介します。

 

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【モンテクリスト伯】投獄された孤島の島とは?

「モンテクリスト伯」で主人公ダンテスが投獄された島は、マルセイユ港から約3km沖合の、昔は牢獄だった「イフ島」です。

築かれた要塞の名前のシャトー・ディフと呼ばれている島です。

実際に牢獄として使用されていたのは、1540年から1914年までで、物語の時代には、フランスで牢獄として有名であったために、「モンテクリスト伯」で使用されたと思われます。

次に、主人公エドモン・ダンテスのモデルを紹介します。

 

【モンテクリスト伯】エドモン=ダンテスのモデルは?

1807年頃に、フランソワという男がマルグリットという娘と婚約していたのですが、腹黒い友人に密告され、イギリスのスパイとして逮捕されたことが報道されました。

作者のアレクサンドラ・デュマは、この話を聞いて、フランソワをエドモン・ダンテスに、婚約者マルグリットをメルセデスへ名前を変え、実際にあったことは、逮捕された所までですが、それに復讐の物語を足して、小説を完成させました。

モデルはありましたが、物語の内容の大部分は、作者の考えたフィクションです。

 

小説の書かれた期間を紹介します。

 

【モンテクリスト伯】1844年から46年にかけた小説?

モンテクリスト伯は、1844年から1846年にかけて、新聞に連載されました。

アレクサンドラ・デュマは、1829年に、戯曲「アンリ三世とその宮廷」で有名になりました。

その後、「モンテクリスト伯」の他に、「ダルタニアン物語」(三銃士を含む)、「王妃マルゴ」、「王妃の首飾り」などを新聞に連載しました。

 

【モンテクリスト伯】この時代の小説家は他に誰がいる?

1800年代の小説家として、有名なのは、スタンダール(1783-1842)、バルザック(1799-1850)、モーパッサン(1850-1893)などがいます。

スタンダールは、「パルムの僧院」、「赤と黒」で有名です。

バルザックは、「ゴリオ爺さん」、「従妹ベット」で有名です。

モーパッサンは、「脂肪の塊」、「女の一生」で有名です。

アメリカではエドガー・アラン・ポー(1809-1849)の推理小説「モルグ街の殺人」、「黒猫」が有名です。

日本では、明治元年(1868年)の前で、江戸時代の後期には、曲亭馬琴(1767-1848)(南総里見八犬伝)、十辺舎一九(1765-1831)(東海道膝栗毛)などが、その後は、徳富蘆花(1868―1927)(不如帰)、岡本綺堂(1872-1939)(半七捕物帳)などがいます。

次に、モンテクリスト伯がフランスの新聞で掲載されたことを紹介します。

 

【モンテクリスト伯】フランスの新聞で掲載された?

モンテクリスト伯は、フランスの新聞「デパ紙」に1844年から2年間連載されました。

新聞の購読を続けさせるために、毎回小さな山場を作り、次回に続く謎の部分を作って、当時のフランスで大人気になったようです。

この手法は、今の新聞連載小説でも、行われています。

小説の人気から、新聞の売り上げが驚異的な部数になり、作者のアレクサンドラ・デュマに多額の印税が払われました。

その印税で、「モンテクリスト城」を建てました。

 

次に、モンテクリスト伯は一人で書いたのかを紹介します。

 

【モンテクリスト伯】大長編だけど一人が書いたの?

アレクサンドラ・デュマには、弟子オーギュスト・マケがいました。

「モンテクリスト伯」は、後から、オーギュスト・マケにより、「アレクサンドラ・デュマが盗作した」と訴えました。

それについて、アレクサンドラ・デュマは、法廷で、「盗作したことは認める。しかしおれの方が面白い」と証言したと言っている書物もあります。

昔から、ゴーストライターはいたようで、アレクサンドラ・デュマは、その当時、人気作家で一人では書けず、書くのを助けてもらっていたようです。

 

次に、アレクサンドラ・デュマの他の作品を紹介します。

 

【モンテクリスト伯】他の作品は書いてないの?

アレクサンドラ・デュマの作品として、「モンテクリスト伯」の他にも作品は多数ありますが、有名なのは

・三銃士(1844年)

1844年に新聞「世紀」に連載されました。

内容は田舎騎士ダルタニアンがパリへ出てきて、三銃士として活躍する物語です。

 

・王妃マルゴ(1845年)

内容は王妃マルゴの悲恋を扱った歴史ものです。

などがあります。

 

アレクサンドラ・デュマは、息子も同じ名前で小説「椿姫」を書いていて、息子と区別するために、「モンテクリスト伯」を書いた父をアレクサンドル・デュマ・ペール、「椿姫」を書いた息子を、アレクサンドル・デュマ・フィス(1824-1895)と呼んで区別しています。

 

まとめ

4月19日からディーンフジオカ主演で放送開始されているフジテレビ系木曜劇場「モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―」の原作である、日本では「巌窟王」として有名な アレクサンドラ・デュマの原作「モンテクリスト伯」を紹介しました。

「モンテクリスト伯」の原作とテレビドラマの違いから、新聞の連載小説として、原作の書かれた時代背景までを詳細に紹介しました。

 

本記事を参考にして、テレビドラマを楽しんでいただければ、幸いに思います。

そんなモンテクリスト伯のドラマは、ディーンフジオカさん主演で絶賛放送中です。

もし気になる方は、モンテクリスト伯第1話(初回放送)のあらすじや評判や見逃した場合の観る方法などを書いていますので、よかったらご覧ください。

⇒モンテクリスト伯の第1話のあらすじや口コミや見逃した人はこちらから

 

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